「この街を音楽で賑わせたいという思いから動き出した。」
日々開催場所を探している中で地元の悪友に相談をそして、昔の仲間が横須賀にいるということで話をしてみるとその友人は、横須賀市久里浜在住という。海が好きでいつかは海の近くに住みたいと思っていた願い叶い移り住んだという。
しかし、淡々とした日々の中でいつしか横須賀をもっと盛り上げたいという気持ちが芽生えていたらしくこの話に賛同をしてくれた。
やりたくても出来ない事情
気持ちがあれば出来るわけではないのです。地域市民も含めた共感がなければ出来ないのです。
この「事を興す」事でこの町の良さや埋もれている価値を再発見出来多くの人に伝える事が出来ればそれでいいのです。自分たちの町を多くの人に知ってもらい地域市民もそして、新たにその場所を知る人も喜んでくれればいいのです。
しかし、それには多くの地域の方の思いと行動するチカラが必要なのです。
その思いと行動するチカラがなければその地で「事を興す」事などする必要はないのです。単なる「お節介」になってしまうのです。
市民の意見も大切です。しかしもっと大切なのは行動する思いがあるかなのです。
独りよがりな思い込み。良かれと思うのは勝手自己中心的な話で相手が望んでいなければそれは無理強いなのです。
説明不足・提案の不備・思いが伝えきれずに巻き込む事が出来なかった?
多くは過去の経験が「今」を作り「未来」を形成していきます。「過去」から形成するのです。
しかし、「未来」は今から作り出して行かねければいけないのです。
「未来」とは「誰の」ためのものでしょうか?もちろん私たち自身の未来でもありますが、
それは「次世代」=「子供たち」にどんな未来を残す事が出来るかではないかと思っています。
今がよければそれで良いではないのです。未来がどうなっていれば良いのかを想像しそして行動する事が大切だと考えています。
過去に生きるのではなく、未来のために今を生きていく。ということです。
そのためには、同じ思いを持つ仲間を見つけるしかないのですね。
音楽には「音」はつきもの問題は「音量」
いざ、開催をすすめるのであればまずは会場を探さなければいけない。
こだわりは野外、そして芝生のあるこの街ならではの場所を、、
横須賀駅周辺には幾つかの公園が存在している。
猿島が正面に見える「うみかぜ公園」
軍艦周辺の「三笠公園」
地元の釣りのポイント「海辺釣り公園」
横須賀の観光名所でもある「観音埼」山を登っていくと広大な敷地が広がる。
開催出来るような場所はいくつもあった。
しかし、いつも課題となる「音問題」会場視察の際に近隣の住居環境なども調べてつつ可能性を探っている。
ここ横須賀ではその懸念が1番大きな課題だと視察を行っている中で少しづつ感じ始めていた。そしてその予感が「当たり」です。
「音問題」やはり大きな課題でした。以前イベントを行った時に花火的な空砲を鳴らしたことがあったというその1発で大きな苦情が寄せられたと。その経験から近隣に住居がある場所での開催は基本無理だと。
「ヨソ者」は所詮「ヨソ者」他人事ではなく、自分事と捉えて行動する人が必要なのです。
1人がやりたいと思っていてもそう簡単には出来るわけもなく多くのチカラが必要になります。
しかも、同じ思いを持った人が必要になるのです。
他人事ではなく、自分事と捉えて行動する人が必要なのです。
「ヨソ者」に何がわかるんだ!と思われても仕方がないのです。
「ヨソ者」の言葉で気づきがあればよく、そしてその気づきをどう実現できるかと考える、そしてどう表現するかを考える事が出来れば先につながっていきますが、それがなければその道はその場で途絶えてしまうという事です。
諦めるわけではない。
周りから埋めていきますかね。
横須賀での開催は一旦は中断ですかね。会場も探しに探した結果条件に合う場所が見当たらない。その上で地域の方々を巻き込む事も出来なかった。このままひきづっていても時間がただ過ぎていくだけでしかない。
でれば他の地域をさらに広げていき興味を抱かせるしかないかな?
「私の町でもやってください」と言われるようにならなくてはいけないと改めて思った良い経験。その経験をバネに引き続き動いていけると思う。
しかし、この動きにさらに興味を持ったものが生まれた。
「この地域で無くても手伝うよ」と言ってくれた。これで今回は十分なのかもしれない。
この積み重ねが大きな渦になり周りを巻き込んでいけるのかも知れないと。
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